螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

これ、伝わる文章か?


 ここで疑問が二つ生じる。第一に、まゆ氏が死ぬ要因は、ラウンダーズに殺される、だけではないという点である。列車にはねられるパターンとかSERNまったく関係ない。何の関与もしていない。もしそのパターンの世界線で未来に進んだ場合、鳳凰院氏はSERNと戦う動機を持たないことになる。これではゲイボルグ理論が成立しないではないか。ただ、これは〈運命探知の魔眼(リーディング・シュタイナー)〉の存在によってある程度は正当化されるか? 鳳凰院氏の主観においては、まぁだいたいほとんどはラウンダーズに殺されるパターンだったため、仮に最後のパターンが全然関係ない死に方だったとしても、SERNへの敵対心は維持される、のか? うーむ、微妙なところだ。しかしなぜSERNまったく関係ない死に方のパターンが存在するのだろう。うー、わからない。まぁ、次の疑問に行くとしよう。第二に、「α世界線の未来など、本当にやってくるのか」という点である。SERNディストピアが実現するには、鳳凰院氏がどこかでまゆ氏の救助をあきらめなければならない。しかし――諦めるか? あの男が? 実際、本編では決して諦めなかったではないか。では「α世界線の未来における鳳凰院氏」(長いので以下α鳳凰院と呼称)が諦めるに至った経緯とは何か。……すぐに思いつくのは、タイター氏が現代に現れなかった、「特殊な一周目」が存在している説である。タイター氏が現れなかったということは、アトラクタフィールドの概念がα鳳凰院氏に伝わらなかったということである。これならば確かに諦めてしまっても仕方がないかもしれない。何百回、何千回と繰り返しただろうが、最後には疲れ果て、擦り切れて未来に向かってしまったのだろう。だが――この仮説には重大な穴がある。タイター氏が現代に来なかったということは、α2010年の時点ではSERNと鳳凰院氏の戦いが確定事項にならなかったということである。これが確定しないということは、まゆ氏の死も連座して確定事項から外れてしまう。つまり――助けられてしまうのである。タイター氏が現代に現れた場合、鳳凰院氏は決して諦めず、劇中で描かれた経緯を辿ってシュタインズ・ゲート世界線に行ってしまう。現れなかった場合、まゆ氏の死がそもそも確定事項にならないのでやはりα世界線の未来はやってこない。どちらの場合でも「SERNと鳳凰院氏が戦うディストピア」は実現しないのだ。おかしい。なぜかベタなタイムパラドックスが発生してしまったぞ。俺はどこで間違えたのか。