これ、伝わる文章か?
ここで疑問が二つ生じる。第一に、まゆ氏が死ぬ要因は、ラウンダーズに殺される、だけではないという点である。列車にはねられるパターンとかSERNまったく関係ない。何の関与もしていない。もしそのパターンの世界線で未来に進んだ場合、鳳凰院氏はSERNと戦う動機を持たないことになる。これではゲイボルグ理論が成立しないではないか。ただ、これは〈運命探知の魔眼(リーディング・シュタイナー)〉の存在によってある程度は正当化されるか? 鳳凰院氏の主観においては、まぁだいたいほとんどはラウンダーズに殺されるパターンだったため、仮に最後のパターンが全然関係ない死に方だったとしても、SERNへの敵対心は維持される、のか? うーむ、微妙なところだ。しかしなぜSERNまったく関係ない死に方のパターンが存在するのだろう。うー、わからない。まぁ、次の疑問に行くとしよう。第二に、「α世界線の未来など、本当にやってくるのか」という点である。SERNディストピアが実現するには、鳳凰院氏がどこかでまゆ氏の救助をあきらめなければならない。しかし――諦めるか? あの男が? 実際、本編では決して諦めなかったではないか。では「α世界線の未来における鳳凰院氏」(長いので以下α鳳凰院と呼称)が諦めるに至った経緯とは何か。……すぐに思いつくのは、タイター氏が現代に現れなかった、「特殊な一周目」が存在している説である。タイター氏が現れなかったということは、アトラクタフィールドの概念がα鳳凰院氏に伝わらなかったということである。これならば確かに諦めてしまっても仕方がないかもしれない。何百回、何千回と繰り返しただろうが、最後には疲れ果て、擦り切れて未来に向かってしまったのだろう。だが――この仮説には重大な穴がある。タイター氏が現代に来なかったということは、α2010年の時点ではSERNと鳳凰院氏の戦いが確定事項にならなかったということである。これが確定しないということは、まゆ氏の死も連座して確定事項から外れてしまう。つまり――助けられてしまうのである。タイター氏が現代に現れた場合、鳳凰院氏は決して諦めず、劇中で描かれた経緯を辿ってシュタインズ・ゲート世界線に行ってしまう。現れなかった場合、まゆ氏の死がそもそも確定事項にならないのでやはりα世界線の未来はやってこない。どちらの場合でも「SERNと鳳凰院氏が戦うディストピア」は実現しないのだ。おかしい。なぜかベタなタイムパラドックスが発生してしまったぞ。俺はどこで間違えたのか。