というか正直作者の中でもさほど明確ではない
で、そうだ、バス停の扉絵について触れてなかったな。実際どうなのか。こう、あれだ、読者によって、想像する人物ビジュアルは違うじゃないですか。皆それぞれイマジナリー諏訪原篤なりイマジナリー嶄廷寺攻牙なりがいるわけじゃないですか。したらおめー、ここで扉絵に三馬鹿を登場させてそのイメージを壊すのは忍びないような気はするのである。スェドンザ骸装態に関しては、恐らく「コレジャナイ」と感じた人はいない、と思う。少なくとも俺は「完璧なイメージ化だ!!」と思っている。しかし、それはクリーチャーであるからという点もあるのかもしれない。人物だと、より繊細な、なんかが求められるし、些細な違いも大きく認識されることだろう。人は、怪物の個体差はまったく認識できないが、人間の個体差には極めて敏感である。しかし、一方で、戦いの後の姫川病院前、というのもエモくて良いが、いささか地味なような気もする。俺はそういう、人物を排した情景という奴がかなり好きではあるのだが、一般的に言ってそれは商品のパッケージとしてキャッチ―さに欠けていないか? いや、これこそが真に『フルスイングでバス停を。』の世界観を示す案ではないか?
時間切れ。
(アンケートを取れないかなぁ。三馬鹿のイラストが見たいか、見たくないか)