螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

正しいか正しくないか以前に俺が単にチキンだっただけだが

 今日は、昨日書いた記事が原因で、ちょっとばかしスリリングな体験をした。いや、なんというか、まぁ基本的に皆それぞれ意見があるよね、間違った意見とか存在しないよね、的スタンスが、最も手っ取り早く争いごとを予防できる方策であるわけだが、まぁその、昨日の記事によって、俺自身は別にどうということもないのだが、俺以外のところで、いささか悪しき縁をめぐり合わせてしまったな、と。なんかこう、ナイアルラトホテップの気分になった。自分は何も悪いことはせず、しかして関わった人間に凶運をもたらしてしまったような気がする。いや別に俺のせいじゃぬぇー!! で、「皆それぞれ意見があるよね」は確かに正しいのだが、そんな中で「その意見は認められない!」という人がいたとして、その人に「いやいや、間違った意見など存在しないでしょう」とかなんとか言うことが正しいのかという話である。俺は、正しくはない、と思う。どのような意見を持つかは確かに自由だが、どのような意見を嫌うかもまた自由であるはずだ。それは俺が解決すべき課題ではない。だが疑問点としては、「意見は自由」と「意見を嫌うのも自由」は矛盾する局面もありうるのではないかということ。もう一つは、「意見は自由」を徹底すると、確かに争いはなくなるが、同時に止揚もなくなるのではないかということ。

 

 時間切れ。

 

(日本人は議論ができない、というのはよく言われることであるが、確かに感情論大好きマンの集団ではないかと思うことはある。いや、今回の件で冷静さを欠いた人は一人もいなかったし、対立が表面化したわけでもないのだが、こういう誰の意図でもない、しいて言えば巡り合わせが悪かっただけでも人は人を嫌いになりうるのだなということをまじまじと見せつけられた)