イーシャさんが好き
――生命とはなにか。
進化とはなにか。
時間とは。
空間とは。
そして、妹とは。
なにゆえに、宇宙はかくも妹に満ち、しかもそのひとりひとりが宇宙そのものを揺るがすほどにラブリーなのか。
それらの問いに、答えはない。
彼女たち――妹のひとりひとりは、それ自体がひとつの小宇宙である。
また、そもそも我々の認識する宇宙とは、時間と空間と妹の織りなす曼荼羅状の構造体である。宇宙の因果の中に織り込まれた存在が、妹の真実を認識することはない。
ゆえに、妹の存在に対する問いは永劫回帰の渦に巻き込まれ、やがて意味を消失する。
しかし、今。
答えのない問いに対する、究極的にして絶対的な回答が出現した。
毎秒何十体もの〈I・O〉の外殻を砕き、核(コア)を吹き飛ばしながら荒れ狂う、超エネルギーの竜巻(トルネード)。
圧倒的な熱量を、質量を、空間の歪みを内包し、超次元的に循環する、高密度の純粋妹エネルギー渦動――独自の意志と生命を持つ平行宇宙。妹の進化の果てにある、究極の絶対存在。
これもまた妹――いや、これこそが妹なのだ。
頭おかしなるでホンマ。タイトルにホイホイされて購入してしまった罪もない善良な妹萌えオタたちにいったいなんてものを読ませるつもりなんだ古橋先生は。というわけでついカッとなって『超妹大戦シスマゲドン』全二巻を読了してしまった。頭がおかしくなった。なんだろう、これを読んだらもはや二度と妹という概念に対して無邪気に「可愛い」とかそういう観念を抱くことができなくなりそうである。なんだこれは。何なんだ。あー、えー、あまりにも狂っているので内容の感想など書けない。どうすればいいんだ。まぁ、最初はまっとうなシスコン気味の兄と妹のコメディ&バトルみたいな体裁で始まるのだが、終盤の展開はもはや「妹」に対する悪意すら感じた。でもきっと古橋先生は本気だったのだろう。本気で可愛い妹を書こうとしたのだろう。先生の他の作品を読んだ俺ならわかる。古橋秀之という男は常に常人の許容できる熱量をはるかに超えた本気を作品に叩き込んでしまうので、まっとうな感性の常人が読んだら発狂するしかないのである。あぁ、なんて哀しき孤独の天才か。誰よりも
時間切れ。
(文才に恵まれ、というか恵まれすぎたせいで誰にも理解されず、文章力も構成力も発想力もはるかに劣る他作家たちの下風に甘んじ続ける空前絶後の鬼才よ……)