螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

獅子神はんよりもこの状況でスマホを手放そうとしない人の方が怖い


 『いぬやしき』第十話まで視聴する。ううむ、獅子神はんの行動原理が謎である。しかし前半でリアルなサイコパス描写を行っていることが、この意味の分からなさに正当性を与えている。まず彼は唐突に絶対的な力を得てイキってるクズ、などではない。機械になってしまったのは、本人的には悪いことであり、叶うなら元に戻りたいと思っている。そして、正義の味方やってる犬屋敷氏に対して激しい嫉妬の念を見せたところから、とりあえずまっとうな倫理観はある。少なくとも「悪より正義のほうがカッコイイし美しい」という思考基盤はある。にもかかわらずこの大量虐殺である。つまり本人的にはやりたくなかったけどやらざるを得なかったことなのだ。ではなぜやらざるを得なかったのか。人を殺したことで、人として得られそうだったすべての幸せを失ったという因果関係は理解しているはずである。それをわかっていながら、なぜ彼は前半に一家惨殺をしなければならなかったのか。ここがわからない。苦しんで死んでる他人を見ることが、彼の現状にどういう意味があるというのか。誰が血反吐はいて死のうがもう自分は生身に戻ることは

 時間切れ。

(犬屋敷氏に激しく嫉妬したのが俺には意外であった。あ、君そういうの気にするんだ、ってなった)