螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ほかなんかなかったかなー

 ほんでまぁ、今日はバトル描写論考応用編のネタを求めてブログを読み返していたが、サルベージできたのは「HPの削り合いにしない」というネタだけであった。まぁ、昨日上げたのにこれも加えれば充分であろうか……。しかし、俺は一体なぜ戦闘シーンをHPの削り合いにしてはいけないと考えたのか? たとえば忍殺では、あからさまにHPの削り合いと称するほかない戦闘描写が存在する。あのー、たとえばザイバツグランドマスター、ニーズヘグ=サンとの戦いとかな。あれは攻撃し合って、攻撃し合って、根負けしたほうが破れた、みたいなやつであり、俺がよくないと考える「HPの削り合い」そのものなのであるが、しかし俺はあのバトルの評価は低くない。むしろ高い。だが最高ではない。で、最高の評価をした戦闘シーンを思い返すと、いずれもHPの削り合いではなく、一撃で相手を殺せる力を持つ者同士の戦いであり、勝負の肝は「いかにして攻撃を当てるか」という点に集約されていたのだ。そこにはHPの削り合いにはない緊迫感が漲っていた。たとえば、シグルイ中盤の藤木対伊良子戦とか、フェイト/ゼロの切嗣対愉悦とか、

 

 時間切れ。

 

覚悟のススメの散様戦もだな。「次の瞬間にはどちらか死んでる予感」に満ちていた。そうゆうのを小説として描き出したかったのだ。しかしそれは俺の単なる好みでしかない)