螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

衣食住ぜんぶいらなくなる、ぐらいしか利点が見いだせないな

 というかね、「死にたくない」とかそういう後ろ向きというか、ただの臆病な感情を、仮にも魔王第四柱として恐れられる存在が抱いてほしくないというか、やっぱもっと積極的ななんかであってほしいのよ俺は。あのー、それでだ、ギアラドゥナは元人間で、で、自分の意思でアンデッド化し、「ええやんこれ!!」ってなって、それが小世界化に繋がったのではないか? 奴は全人類のアンデッド化という形で他の魔王たちの暴虐に苦しむ衆生を救おうとした。つまり全人類アンデッドな状態こそが奴の哲学における理想郷であるべきだ。ではなぜそれが理想郷なのか。アンデッドの利点として真っ先に挙げられるのが「寿命がない」ということであるが……うーん、人間だったころに尊敬する恩師がいて、その人はものすごい魔法理論を完成させて世界に産業革命的なものを起こしかねない偉人だったわけだが、歳食ったジジイだったので、理論の完成前にぽっくりおっ死んでしまいギアラドゥナは大いに落胆して「寿命とかクソだな」と思うようになった? うーん、なんかありきたりだな。もっとこう、アンデッドにそんな利点が!? と読者の度肝を抜けるような動機が欲しい。何か、何かないか。うー、うー、

 

 時間切れ。

 

(なんか、書いた文章の途中に新たな文章を挿入しようとすると、新たな文章が元からあった文章を上書き消滅させてしまう謎の症状が発生しているのだが、対処法がよくわからん)

しかしリプリ氏のこの攻撃自体はめっちゃかっこいいと思う

 さて、ギアラドゥナである。奴の願いと矛盾と止揚はいかなるものであったのか。えー、とりあえず願いは「死にたくない」、なのか? しかし、人間、生きている間に「死にたくない」などという願いを狂念の域にまで高めたりするものか? 人は己の死を実感として信じることができない、という話である。だからもうちと違うものなのではないか? 死後概念の否定である。あのーつまり、自分自身が死にたくないとか生きたいとかそういうことじゃなくて、死後の救いに望みを託して生きている連中を否定したかったのではないか。いや、なんだろう、これは俺の心情に寄せすぎであろう。あのー、『オーシャンまなぶ』で、対リプリ・キデルス戦で、なんかリプリ氏が「死後の世界を認めないのであれば、死は究極の恐怖であり、まさにその事実によって今お前は死んでいなくてはおかしい。お前の生存自体が、信念に殉じていないお前の腰抜けなありようを証明しているのではないか?」というような攻撃を放ち、主人公まなぶ氏は大ダメージを受け、観客まで次々と血を噴く惨事となったが、しかし俺はこれにちょっと違和感を覚えるのだ。

 

 時間切れ。

 

(俺はぶっちゃけ死後の世界など存在しないと思っているが、しかしだからといって死が究極の恐怖とするのはなんか違和感があるのだ。だって「無」を恐ろしいと感じる主観がそもそもないのだから、別によくね? って思うのだ)

(ギデオンが哀れな独り芝居すぎるぞ……)

歪律領域覚醒において乗り越える矛盾は、なんというか、異質な世界を「異質な部分」を含めて肯定する必要があるのかなと思っていたのですが

  作者より尻尾さんのほうが設定を理解しているという不具合。作者失格。セプクしろ。そうでした。止揚が必要なのですよ!! あー、つまり、テーゼ「エルフまもゆのー^^」とアンチテーゼ「しかし神代のオーク大量発生によってたくさん死んでしまった」の二つを対立させ、その矛盾の中から双方を統合したジンテーゼをひねり出さなければならないのだ。つまり森の意思はオークの存在を肯定する必要がある。それはどのような理屈か。まぁその、生死流転と言いますか、破壊があるからこそ再生も発展もありうる的な? オークの存在が、実は大きな視野でいえばエルフの利益になるのでは? 的な? そういう悟りに到達しないといけないわけですな。ではオークの襲来がエルフ社会にもたらした肯定的な影響は何か。やはりそのー、騎士階級の誕生と、それに端を発する、エルフたちの分業化の推進とか、そのへんではなかろうか。つまりそれぞれ得意とすることを専門的に修めることで社会全体を効率化させることを促す外圧としてオークの存在を肯定したのではなかろうか。これならば清濁併せ呑む雄大なる神としての威厳も増すような気がする。

 

 時間切れ。

 

(つまり森の意思はエルフが変化し、成長してゆくことを認めている。貴族階級の誕生は、森の歪律領域覚醒と同じタイミングだったと考えられる)

この世で最初のエルフは真の不死だったのか?

 歴史区分
 神代、古代、暗黒時代、黎明時代、現代に分けられる。
 〈星幽の時代〉
 さまざまな種族が創造され、神統器が授けられる。神々は地上世界に鎮座し、人々の父として時に助言を与え、時に裁いた。
 〈篝火の時代〉
 何らかの理由で神々は地上を去り、常命の種族たちが自由に発展し、繁栄した時代。
 〈暁闇の時代〉
 魔王の力で神統器の機能が失われ、支配の根拠を失った統治者たちが失脚し、世紀末状態に陥る。多くの悲劇と流血が繰り返されたが、同時に神統器に頼らず秩序を構築しようという自立の精神が培われた時代でもあった。光の勇者が魔王を討ち果たすことで終わりを迎えた。
 〈黎明の時代〉
 神統器の機能が復活し、再び秩序が構築されようとした時代。再び神統器の秩序に服そうと言う勢力と、人は自分の力で社会を維持しなければならないと考える勢力による争いの時代。

 設定より抜粋。ほんでな、昨日、森の意思は〈暁闇の時代〉に矛盾を乗り越えたんじゃね? みたいなことを言っていたが、違うわ。確か本編のどっかで「森の意思は神代の昔に矛盾を乗り越えた」的な記述があったはずだ。そうなると? 神代、すなわち〈星幽の時代〉に? なにかエルフを脅かす出来事があったのか? それはなんだ? まぁまず、森が歪律領域に覚醒する前は、当然ながら幽骨もなかった。幽骨甲冑も幽骨剣もなかった。そうなると、まぁ基本的に対魔戦闘能力をほぼ喪失しますな。いや、弓矢はあるけど、それはオークにはほぼほぼ効かないので。そうなると、オークが神代のどこかで初めて誕生し、大量発生し、ゆえにエルフたちは脅かされ、ままならぬ状況に森の意思は小世界化。これだ。で? それから……どうすればいいんだ。おそらくこの事態を受けて、エルフたちは「なんかぽややんとしてるだけじゃだめだ。自分たちもなにかしないと(使命感)」ってなって、で、女たちが森に魔力を還元する制度が定まり、いい感じになって、森の意思は「あぁ^~、魔力あったかいんじゃぁ^~」ってなって

 

 時間切れ。

 

(わが子らと力を合わせればきっと乗り越えていける! ってなって、世界を肯定。歪律領域覚醒者となり、幽骨がにょきにょき生え始める、と。そして今、矛盾に気づいた。始祖アウラリスはオブスキュア王国の創始者だ。つまり神代の人物だ。それがお前、なんで暗黒時代の魔王討伐に参加してんだよ。なんぼなんでも長生きしすぎでは?)

しかし言いづらい名前だなギアラドゥナ

 ほんでじゃあ、次は森の意思であるが、こやつはどのタイミングで小世界になったのか。そりゃおめー、〈暁闇の時代〉で、なんか《螺旋律の魔竜》がひっでぇことをして、オブスキュアのエルフたちにもけっこうな被害が出たんじゃなかろうか。そうしてままならぬ現実を前に悲憤し、小世界となり、ええと、それで? それから? ままならぬ世界をどう肯定したの? たぶん、きっかけは光の勇者だったのではあるまいか? 始祖アウラリスは、なんかこう、森の意思との交感能力が、史上最も優れていて、なんかこう、光の勇者と行動を共にするうちに、徐々に前向きな気持ちになっていけて、で、それに引っ張られて森も「世界これからよくなるんちゃうん?」っていうような形で肯定できはじめ、幽骨=歪律領域が発生しはじめた、と。つまりそれ以前は幽骨など存在せず? え、それ大丈夫? あれ、ギアラドゥナを封印した時点では、もう幽骨はエルフの死後概念として定着してたんだよね? で、光の勇者はたぶん人族だから、お前そんな、何百年も生きたりしませんよ。

 

 時間切れ。

 

(てことはギアラドゥナ封印はどう考えても幽骨発生より数年後程度ということになる。そんな年月では幽世にいるエルフの頭数もたかが知れたものであろう。そんなんで封印機構として機能するのか? もちろん、エルフの死者の数と、幽骨の死後概念としての機能に、別段相関関係はない、ということにしてもいい。しかし、心情として、ねえ? すっからかんの幽世だけど機能は立派だから! これから死者の救いの世界になるから! だからギアラドゥナも封印できるから! っていうのは、ちょっと、もやっとするな)

次回、残る二人の矛盾とその解消プロセスを考えてみる

歪律領域(ヌミノース)――死斑庭国の矛盾ってなんですかね……?

  エッ……それはそのー、あのー、あれですよ、あれ、なんだっけ? 奴の望みがまずなんだっけ? そうだ、「死ぬのやだー、死後の救いとかそんな欺瞞ほざいてんじゃねーよあの世なんてあるわけねーだろバーカバーカ」っていうようなやつで? で、その望みとはかけ離れた世界の様相を前にギアラドゥナ・ガリュンルガプは小世界となり? で? それから??? どうやって矛盾を乗り越えたの??? おい??? バール氏??? こっち向けよバール氏??? 魔王はどうやって世界を肯定したんですか??? あ??? ……考えてなかったです。セプクしろ。あのー、というかね、まっとうに矛盾を乗り越えた歪律領域覚醒者ってヴォルダガッダしかいなくない? 〈盟主〉、「万象、ことごとく無意味たれ」。森の意思、「エルフまもゆのー^^」。ギアラドゥナ、「死ぬのやらー^^」。君ら野放図に願望垂れ流してるだけじゃない??? まぁちょっと、考えよう。〈盟主〉はまぁ、わからなくもない。この渇望はそのまま世界の現状を肯定してもいいような類のものだ。しかし、そのままである程度現実と折り合いがつくような願いは、小世界にまずならないのである。

 

 時間切れ。

 

(だがこれは、〈盟主〉がそもそもシロガネ世界で生まれた存在ではないためである。意味、つまり補正に縛られた世界で「無意味こそ至高」と願いを抱き、しかし叶えられず小世界化、しかるのちにシロガネ世界に来て歪律領域の存在を知り、「ええやん!」ってなってシロガネ世界を肯定、歪律領域に覚醒した、という流れだ)

冲方先生本人による前日譚小説もめっちゃ面白かったからなぁ

 ほんでな、『蒼穹のファフナー』がようつべで期間限定配信されていると聞いた俺はいてもたってもいられなくなってさっき一話と二話を視聴してきたんや。ファフナーっつったらおめー、「一期の前半一クールがクソだが、それ以降は超傑作」という評価をそこここで聞く感じであったわけだが、いやお前、最初の一クールは我慢しろてお前……なにその「クソな会社でも三年は我慢して努めろ」的なやつ。勘弁してくれよそれプレゼンになってねえよ、我慢させるにしても12話は長すぎだろ……と思って、興味はあったものの手は出ていなかったのである。しかし脚本・ストーリー原案は冲方先生ですよ。したらお前、ファンの務めとしても、見ないといけないんじゃないの? で、見る。おもろいやん。前半クソクソ言われてたからいったいどんなファッキンスカム案件が飛び出してくるのかとびくびくしながら見ていたが、いやいや、全然オッケーやんけ。まぁ、まだ二話までしか見てないけど、これから心をえぐる悲劇の予感がひしひしとしてくる。なにしろ冲方先生だからな……あの人本当に容赦ないからな……しかし冲方先生は、あのー、「愛の戦士になりてぇなぁハッピーエンド書きてえなぁ」とか言いながら凛雪鴉みたいな最低の腐れ外道を主役として登場させる、

 

 時間切れ。

 

虚淵先生みたいななんちゃって愛の戦士(笑)とは違いますからね。その目に熱き炎を宿した愛の戦士(真)である。ただ悲惨なだけの物語では終わるまい)