ごめんなさい散さまァ!!
〈盤古機界〉の内部では、大小さまざまな大地力の律動がうねり、喰い合い、増幅しあっていた。そこは情報が力の流れに変換されて存在する極めて大規模な思考実験場であった。
「凄まじいな、これは……」
一部の遅滞もなく流動する、あまりに巨大な東洋力学の有機的統合性に、俺はただただ驚嘆することしかできなかった。
美しい。
人ではありえない調和がそこにはあった。
だが、見とれている場合ではない。
十字勁によってコントロールされる陰陽言語の森を通り過ぎながら、俺はここに潜り込んだ目的を思い出す。
俺は、この中から一つの勁力情報を拾って戻らなければならない。
それは纏糸勁系の技を極限まで先鋭化させた奥義の動作である。いかなる巨大な存在であれ、それが有機生命である限り、必ず一撃のもとに葬り去る最終滅技。
ここにしか保存されていない、と、鎮大人はおっしゃった。
ならば、行かねばなるまい。大人を再起不能に追いやったあの男を倒すには、その技を会得する以外に道はない。
俺は十字勁と纏糸勁、爆発勁などを体内で練功し足の裏から発勁。いっそうの推進力を得、情報の海を高速で突き進んでいった。
内功とは、もともと中国武術において、人体に内在する生命活動のエネルギーを指す言葉であった。これを脱力した体でうまく運用し循環させることで、爆発的な力を発揮するのだ。
もちろん銃全盛社会において、単に戦闘能力という意味では、さほど大きなものでもない。
二十二世紀末、そうした状況に変化が訪れた。
あるいは、革新とも。
ひとりの天才による理論の飛躍。内功武術数千年の歴史を終わらせてしまった、〈統一勁律理論〉。理解し、感得すれば、まさに超人と呼ぶべき力をもたらす太極の奇跡。肉体の神話は復活し、武術家たちは歓喜した。
ともなって開発された、神のごとき電子知性〈盤古機界〉。勁力の流れで思考を行い、ネットワークを通じてあらゆるコンピューターの上位に君臨する制御機構。
俺は肉体を勁力情報に変え、その中に潜入していた。
突如、巨大な手に殴りつけられたかのような衝撃が全身を打った。
「ぐっ!」
吹き飛ばされる。背面から勁を発し、即座に姿勢を安定させる。
「来たか……盤古の守護者」
前方を睨む。
〈盤古機界〉の構造は、人体と相似している。骨格と経絡をそなえ、当然、免疫機構をも備えている。
俺の目の前で情報の粒子が乱舞し、収束し、結晶。無機質なワイヤーフレームの肉体を持つ巨影が出現する。蟹を思わせるずんぐりとした胴体に複数の短い節脚が生える、大型の〈守護者〉だ。
クソ、対応が早すぎる!
〈盤古機界〉への侵入の際には、全身を硬直化させ、勁力学的に凪の状態になることで彼らの目をごまかせていたはず。
前もって知っていたのか?
思考すら許さぬといわんばかりに〈守護者〉は節脚を振り上げ、二重に折りたたまれていた関節を展開させると同時に撃ち下ろした。ぞっとするほどすぐそばを、莫大な質量が貫いてゆく。発散する勁力の余波が肌を粟立たせる。
当たっていれば一撃で終わり。人間ではありえぬ、凄まじい力であった。
俺は回避運動の慣性を発勁で打ち消すと、睨みつける。
一見短く無害に見える奴の節足は、その装甲の内側に鋭利な刃を隠している。すべての関節を広げると、自らの体長を優に超える射程の斬撃を繰り出せるのだ。
その上、複数の刃が入れ替わり立ち代り間断なく襲い掛かってくる。
俺は呼気を全身に循環させ、手の甲に反止勁を張る。
刃の嵐が殺到してきた。
咆哮。
腕を鞭のようにしならせ、迎え撃つ。刹那の間に無数の斬撃を撃ち落とす。激突し、指向性を失った勁力が閃光となって次々と弾けてゆく。俺は目を血走らせて腕を繰り出しつづける。やがて不要な感覚が遮断されてゆく。視界が絞り込まれる。いまだ尾を引いていた咆哮が再び力を取り戻し、裏拳の弾幕が際限なく加速してゆく。
反止勁を宿す両裏拳は、刃の持つ切断能力を拡散させ、ただの打撃におとしめるのだ。
一歩ずつ、にじり寄ってゆく。
俺の右や左を、拳撃に弾かれた巨大な刃が疾り抜けてゆく。
一歩ずつ、にじり寄ってゆく。
「もっとこいよ」
知らず、俺は口を開いていた。
心の深奥より、獰猛な溶岩が溢れ出してくる。
「斬ってこい」
腹の底で生じた熱を拳から解き放つ。
「突いてこい」
懐に入った。凶暴な咆哮を吐き散らす。
「骨肉さらせ!」
銃弾の勢いで撃ち込まれた拳が奴の装甲を貫徹する。内部の柔らかい抗体情報質を叩き潰す。分解されてゆく勁力データが輝く砂の形をとって吹き出る。
撃ち抜かれた孔から両手を突っ込む。孔のふちを握りしめ、俺の全勁力を発振。
「餓ァッ!」
ばきょ。
気の抜ける音。外骨格が引き裂かれる音。
桁違いに大量の輝く砂が吐き出され、光の爆発を起こしたかのようだ。
俺は光る砂を全身に浴びる。これまで幾多のクラッカーを葬り去ってきた〈守護者〉の、多重に集積された防衛履歴が、圧倒的な勁力の波動として俺の意識を押し流す。
凄まじい量の、戦闘情報。やってきた侵入者を食らい、その武術を分析、シミュレート。そのすべてへの対策を算出していたのだ。これほどの数の死闘を挑まれ、こいつはそのすべてに勝ってきたというのか。予想をはるかに越える濃密な勁力情報。脳が溶けそうになる。神経が灼き切れそうになる。
絶叫を上げていた。
今や、俺は悟っていた。
この蟹のような勁力情報存在は、〈守護者〉ではなかったのだ。
どちらかといえば、〈試験者〉。あるいは〈裁定者〉。すなわち、〈盤古機界〉に眠る最終滅技を求めてやってきた者たちの実力をためし、技を受け継ぐにふさわしい戦士であるか否かを判断する役割を担っていたのである。
そして、識る。
あらゆる侵入者の武技を知った今の俺であれば、その結論は必然的に導き出される。人体の構造、力の流れ、どこをどうすれば死滅するか、その究極的な答え。求めたもの。
俺の意を察してか、目の前に簡略化された人体のイミテーションが現れる。
知らず、体が動く。
両脚を開く。体を低く沈ませる。右手を開き、銃に弾丸を装填する心持で後方に流す。
前方を睨み付ける。両脚の裏から地面へと勁を通す。大地の底で増幅され、反響してきた巨大な勁力を再び足の裏で捉え、肉体に吸収する。瞬間、大地を蹴る。そして踏みしめる。踏み脚をねじる。ただ暴れまわるままの勁力に螺旋運動を与え、纏糸勁へと変換する。肢体すべての間接をひねらせて渦巻く勢いを増大させながら勁を上体へ、さらに右腕へと導いてゆく。右掌に絞り込まれた纏糸勁がみなぎる。
そして、解放。弩のように撃ち放たれた掌が閃光と化し、ワイヤーフレームの人形を張り飛ばす。弧を描きながら吹き飛んでゆく人形。そして飛翔の頂点で、異変が起こった。構造が急激にねじれ、ねじれて、ねじれまくり、ねじ切れた。風船が割れたような音が響き渡る。弾け飛ぶ。大輪の華が咲く。
纏糸勁系打撃必滅奥義――〈羅殲〉。
生き物を殺すという目的を、極端に先鋭化させた修羅の魔技。掌に触れただけで、ありとあらゆる生命はねじれ、弾け飛ぶ。
とうとう、俺は習得した。頬が歪んでいった。
脳裏に浮かぶのは、我が師・鎮大人の誇りを完膚なきまでに砕き殺し、俺に絶望的な恐怖を与えた、あの男。
――待っていろ。
俺は一歩を踏み出した。
――ねじり殺す。