螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

頽廃の都で

 いや、確かに俺も思うんです。
 流行モノだからといって何もかも否定して悦に入っているのはオタクとして健全な態度じゃない、と。
 だから俺も今まで「趣味は人それぞれ」という最強の日和見理論で自分を誤魔化して、自らの内から膨れ上がるこの想いをつとめて表に出さないようにしてきたんですが。
 しかしね。
 しかしですね。
 ぶっちゃけこんな場末のブログでどれだけ滅茶苦茶なことをがなりたてようが別に大した問題にはならないだろうという楽観と、オタク文化に蔓延するある種のファシズムにそろそろついていけなくなってきたことに後押しされて、ちょっと思うところを書いてみようと思うわけなんですよ。
 というわけで言います。


 …すいまセーン… ボクウソついてまーした…
 萌えとか ヘドが出るほど嫌いデース…
 ボクの国ではみんな… ヒーローとヴィランしか信用しませーん…
 属性… そんなスカスカなキャラ付けいりまセーン…
 ボクの国では物語は… ガン付けに咆哮って決まってマース…
 この痴呆と眼球肥大症だらけの女キャラも気が滅入りマース… かわいいは正義? クソくらえでーす…


 ……言っちゃった。
 しかし今は一時的に「他者の眼」という抑止システムを無視して書きます。少数派は読んで字のごとく数が少ないんだから、でかい声で怒鳴らないと存在を忘れられてしまいます。


 「かわいい」ほど薄っぺらで後に何も残らない価値観は存在しません。
 何故なら「かわいい」とは本質的に相手を下に見た観方だからです。特にフィクションの中ではそれが顕著で、作り手が意図的に演出した「欠点」「頭の悪い言動」「愚かしさ」に対して受け手が薄っぺらな優越感を感じて安心し、充足する、という構図が目立ちます。虚構の世界の中で、わざと低く創られた対象と自分を比較して、「あぁ、自分は程度の高い人間なんだ」と妄想するわけです。
 このさもしい感情こそがオタク文化における「かわいい」の正体なのです。
 そして、「かわいい」に「薄い欲情」を付与したものこそが「萌え」です。
 程度の低い優越感と、動物的本能の、幸せな融合。
 逃避の対象としては優秀でしょうけれど、いい年こいた大人が没頭すべき文化じゃない。こんなものが世界における日本のイメージの一端を形作ってるのかと思うと恥ずかしくてしょうがないです。


 あ、いや、俺も「かわいい」に触れて心地よさを覚えたことがないわけじゃないですよ。というか普通にあります。人並みにあります。「かわいい」という価値観がまったくの毒でしかないなどと言うつもりはありません。人は誰だって逃避します。たまにはいいものです。しかし、少なくとも薬にはならない。
 「かわいい」という感情には発展性がない。「俺は今のままでいいんだ」という錯覚を与えるだけです。自己肯定に虚構の存在を使わざるを得ない“弱さ”の産物です。
 今のままでいい、なんて。
 そんなわけがないのに。


 オタク文化における「かわいい」の押し売りぶりは少々常軌を逸しています。「趣味は人それぞれ」なんて言葉では無視しきれないほどにまでやかましい。ありとあらゆる対象が萌えるか萌えないかで成否を判断され、萌えないモノや萌えを志向しないモノはイロモノの烙印を押される「萌えファシズム」の時代です。
 人はそれぞれ信じたいものを信じればいい。「かわいい」を至高の価値に戴かんとする人がいてもいい。だか、世のオタ文化は、総体として、「かわいい」以外の価値観に非寛容すぎます。
 あるいは、わかってはいるのかもしれません。「かわいい」が本質的に逃避でしかありえないということに、気づいているのかもしれません。そしてそういう「ダメなものに傾倒している自分」に「俺は普通とは違うぜ」的なアイデンティティを見出しているのかもしれません。そういう自己肯定のしかたは俺も好きだけれど、「ダメなものも愛する」のならともかく、「ダメなものだけを最も愛する」のでは、それはもはや病気です。
 だからあえて言います。声を大にして。


 「かっこいい」はどこに行ってしまったのか、と。


 「かっこいい」を高尚な思想だ、などというつもりはありません。しかし、少なくとも「かわいい」よりは建設的です。なぜなら「かっこいい」は上を向いた価値観――すなわち尊敬に立脚した文化だからです。観察対象に「いつかは俺もああなりたい」というあこがれを抱く。高みを目指す初期衝動。
 それが「かっこいい」。
 一体なぜこうも「かっこいい」は少なくなってしまったのか。
 そしてなぜ、オタクたちは数少ない「かっこいい」を、「かわいい」の価値観でしか捉えられなくなってしまったのか。
 ちょっと昔までは「かわいい」と「かっこいい」はオタク文化の二本柱だったような気がするのですが、思い出美化フィルターでも働いているのでしょうか。


 ……えーとつまり何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが、つまりアレだよ、ギャップ理論だよ。
 「かっこいい」なくして「かわいい」もありえないんですよ。そうなんですか?
 なんかもっとこう、「かっこいい」を志向したコンテンツが増えないものだろうかという、そんな話でした。
 何かを否定するような文章は書かないでおこうという自らへの戒めをやぶり、とうとうあふれ出ちゃった感のある本日の更新ですが、「かわいい」超最強主義に対する俺の胸やけぶりはもはやどこかで放出しておかないと心身を害するレベルにまで達してしまいました。より具体的に言うと、「かわいい」とか「萌え」とかいう言葉に触れただけで顔をしかめるようになってしまったくらい。
 誰も「かわいい」を否定しないのなら、俺一人だけでも否定してくれるわぁー!