失うことからすべては始まる。救世の道は死狂いなり。
いや、実際のところ、主人公たちはこの救いを拒絶する以外にないのだ。ここで受け入れてしまったら、物語としてあまりにも駄作になってしまう。あのー、使い古された言い回しだが、デウスエクスマキナエンドになってしまうのだから。最後に救いがあるのは良いが、それは主人公たちの奮闘の結果でなければならない。だからこの展開自体は不可避なのだ。だが、だが、俺は「完璧な救いを即座に与えてくれるラスボス」に対して、もっと別の回答はできないものなのかと考えてしまう。だってオレは「幸福であるかどうかが重要なのであって、苦しんだかどうかを重視するのは手段の目的化にほかならぬ」考えなのである。というのも、万仙陣のラスボスとは異なり、P5Rのラスボス氏は良識と常識を兼ね備え、人情を理解する、非常にバランスの取れた人格者であり、歪みと言えば「人を救うという執念が並外れている」ことぐらいしかなく、めちゃくちゃまっとうな人物なのだ。彼が作る新世界は、恐らく「人の欲望をどこまでも無制限に満たし続ける」というような、ある意味不健全なものにはならないだろうという確信がある。ここまで瑕疵のない(「完璧すぎる」という瑕疵すらない)善人として描かれるラスボスはちょっと他に見ないレベルである。まぁしかし、彼の評価や主張の是非については
時間切れ。
(彼を倒してから論じるとしよう。もうちょっとかかりそうである)