螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ここで提示されているのは、恐らく万仙陣よりも完璧な救いである

 つまり、P5Rの主人公たちの主張というか決意というか、「たとえ辛いことが多かろうと、俺たちはこの現実を選ぶ」という選択肢はわかるし、ラスボス氏によって一方的に救われたのでは、自分たちの今までの苦闘はすべて無意味であり、戦わずに蹲っているだけでラスボス氏は全人類を救ってくれた――ということになってしまい、感情的には受け入れられないのも理解できるし共感できる。しかし、理屈で考えると「あるべき、自然な、唯一の現実」などというものがまるで存在しているかのような前提でその主張は成されているが、しかし本作の設定的に、そんなものは存在しない可能性を否定しきれないのである。たとえば性的暴行を受けて自殺未遂した女の子が本作には登場するが、ラスボス氏の救いは「忘れさせる」でも「幸福な夢を見せる」でもなく「現実を実際に操作して辛い出来事がそもそも存在しなかった世界に改編する」という手法を取り、それは現状でも一部実現しているのである。そういうことができてしまっている以上、これまで「現実」と呼ばれてきたものは大衆の認知の平均が具象化したものに過ぎず、パレスやメメントスと比べて「あるべき、自然な、唯一の世界」としての道義的優位性がまったくない恐れがあるのである。ラスボス氏の創造する世界は確かに独善的だが、

 

 時間切れ。

 

(これまで「現実」と呼ばれてきた世界もまた同じくらい独善的と言うべきではないのか? だとしたら、ことさらラスボス世界を拒否するのは筋が通らないのではないか?)