螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

主人公も、ラスボス氏も、正しいし正しくないはずだ

 『ペルソナ5ザ・ロイヤル』、クリアするの巻。素晴らしかった……!! 全人類がプレイすべきゲームだ……! んだがまぁ、かすかなモヤモヤはないこともない。ラスボス氏は、まぁ主張が主張なだけにあまり貶められるようなことはなく敗北していったわけだが、「どうして自分は負けた……?」的なラスボス氏の問いに対して、主人公の会話選択肢の中に「逃げているから」というものがあったのが、なんかモヤっとポイントなのである。(もちろん俺はその選択肢は選ばなかった) 果たしてラスボス氏は逃げていたのか? どうにも俺は、そんな印象を抱くことができなかった。逃げている、とは、本来成すべきことから目をそらして現実から目を背けているというような意味合いであるが、しかしラスボス氏はちゃんと現実をにんしきしているし理解している。それが「理想的」とはとうてい言えない現状によって、彼の大切な人は悲惨な目に遇い、しかしそのような現実から目を背けていたかと言われれば、違うと思う。ラスボス氏が本来成すべきだったことは何か。大切な人を襲った悲劇を受け入れ、泣き寝入りし、新たな人生を模索することか。それは果たして「逃げていない」と言えるのか。悲劇をなかったことにできる手段を得て、それでしか大切な人を本当には救えないとして、

 

 時間切れ。

 

(それでも「これが現実なのだから」と何もしないことが、果たして正しいことと言えるのか。言えるし、言えない。正解などあるはずがない。だから明確な答えを描いてほしくなかった気はする)