螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

孤絶の修羅

 俺の三連休は明日から始まるのだ……! というわけで今日はのんびり書こう。パイセンは殺人嗜好者ではない。とある敵と殺意満々で戦ってる最中に事情が変わって戦う必要がなくなったことを知らされると、「あぁそうなの」って感じでふっつーに矛を収め、その後その敵は味方に近いポジションになるのだが特に何のわだかまりもなく接している。「殺す」ということ自体には何の興味も執着も抱いていないと考えるほかない。
 そういう前提に立って、「ま、いっか」というセリフを反芻してみると何やら非常に味わい深い。殺人嗜好者ではないにもかかわらず、「殺しを愉しんでいるんだよテメーは!」という誤解に満ちた糾弾に対して肯定はおろか否定すらしていないのだ。「身に覚えは全くないし、自覚できる範囲では殺しを楽しいと感じたことなど一度もないが、まぁ深層心理下でそういう気持ちが存在するかもしれない可能性は否定しないし、お前がそう思いたいのならそう思っておけばいいんじゃないかな。どっちでもいいよマジで。意見の擦り合わせなんかする気ないから。そしてそういう心情とはまったく一切関係ない現実的事情に従ってお前のことは今この場で殺す」という思考が「ま、いっか」には集約されていると思うのですよ。
 三日月パイセンの行動原理の第一位は「仲間を守る」であり、殺しはそのための手段に過ぎない。その手段に対して自分が愉悦を覚えているか否かなどクッソどうでもいい些事であると。なんというか、痛快なドライさである。泣きながら殺そうが、嗤いながら殺そうが、殺される側にしてみればどっちも一緒である。そしてどうあっても殺す必要がある以上、楽しんでいるかどうかで悩むなどあらゆる見地から言って完全に無意味な感傷であると。クソ食らえであると。そしてそういう考えを他者に理解してもらおうという気がまったくないこの自己完結感。くぅー! たまらんね。
 この魅力的な基地外が二期ではいったいどのような活躍をしてくれるのか、今から期待である。