むしろPKする奴を主人公に据えた小説が読みたい
【悲報】俺氏、『ソリッドファイター』を発掘できず、咽び泣く。あぁ、だがしかし、この作品を思い出したことで確信に至る。「すごく面白いゲームをプレイして楽しんでいる主人公」は感動的なドラマになりうるのだ。ゆえに、やはり『スタートボタンを押してください』に蔓延する「ゲームとは不自然な社会の歪みであり、なんかおぞましいものである」とかいう古臭すぎてカビも生えないような観念に大いに否を唱えたい。とはいえ『ソリッドファイター』にも、ゲームを深刻なものにする要素は存在している。まぁ、ゲームで戦うキャラクターを「ソリッド」と呼び、プレイヤーの好きなように見た目も性能もカスタマイズできる。そして実戦経験をたくさん積むと、動作が最適化されて、以前までは繋がらなかったコンボが繋がるようになったりもする。まぁ、愛着も当然湧きますわな。ところが、ソリッドたちには「死」の概念が存在する。なんか、通常の試合ではほぼありえないような超大ダメージでKOされると、死ぬことがあるのだ。普通に勝つための動きをしていればそのような事態に陥ることはまずない。そもそも相手のソリッドを殺すことにゲーム上のメリットなど何もないのだ。だが。――というような、やや不穏な要素によって緊迫感はある。
時間切れ。
(こんな要素が現実のゲームで実装されたらまず叩かれるのであり、「ゲームはゲームのままで感動的なドラマになりうる」という俺の結論にいささかの影を落とす。しっかし、一昔前に流行ったMMORPG小説とかで、やたらPKする奴が悪役として酷い扱いを受けていたものだが、PKとはそんなに忌むべきものとして扱われねばならないのだろうか。俺にはその心境が分からない。中世ファンタジー社会を再現しようと言うのなら、殺しで食ってるような奴がいてもいいじゃないかと思う)