螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

TA☆DA☆NO☆GU☆CHI

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 時代の移り変わりとともに、PK行為はどんどん規制されてゆき、システム上できなくなっていってしまった。これで今までPKプレイヤーの暴虐に泣いていたカタギプレイヤーたちは安心してダンジョンに潜り、モンスターを倒し、財宝を漁れるようになった。めでたしめでたし……と考えることが俺にはできなかった。PKが不可能なサーバーも当時存在していて、最初はそっちで遊んでいたのだが、うん、なんというか、完全に心因的なものなのだが、やはりゲームへの印象がまったく異なるのだ。「PKが可能」という前提があるだけで、見えている光景に無限の奥行が感じられたのだ。つまり、自分が「月額三千円だかを支払って接待されているお客様」などではなく、「危険と神秘と驚異に満ちた世界に降り立った開拓者にして冒険者」であると信じられたのだ。ユーザーの希望を叶え続けることだけが素晴らしいゲーム体験を導き出す方法なのだろうか? PKという理不尽な災厄があってこそ、そこでの探索や戦いにリアルな緊張感が生まれていたのではなかったか? 人の悪意や殺意を完全に遮断した無菌室のごとき世界では、俺は『ウルティマオンライン』を肌で感じることができなかった。

 

 時間切れ。

 

(だが多くのMMORPGプレイヤーは「異世界を体感し、筋書きなき物語を紡ぐ」のではなく「レベルを上げてより強い敵を倒す」ことに注力した。彼らにとってMMORPGは「ゲーム」もしくは「コミュニケーションツール」であって、「異世界」などではなかったのだ。俺はMMORPGをプレイしなくなっていった)