もう永遠に改心しないのではないか。俺は永遠にこのシーンを書き続けるのではないか。
結局のところ、第三の敵役の行動のバックボーンになっているものは、「主義主張」と「復讐心」の二つがある。主義主張は、それなりに理屈として説得力を持ったものであるが、これはすでに論破されている。だが、その源泉となった復讐心をどうにかせんかぎりどうにもならんのである。で、ここで「復讐なんて無意味であります!」「だの〇〇はそんなこと望んでないであります!」だの、そんな言葉で奴が止まることなど百パーセントありえないのである。しかし「復讐なんて無意味だ」的言説はやたらと叩かれているが、しかしちょっと待ってほしい。無意味ですよね?(真顔) 言い訳のしようもなく、壮大な時間の無駄ですよね? 正しいことを主張しているのを、感情論で否定するのはお世辞にも知能指数の高い行いとは言えないのではありませんかおっほう? では復讐の意味とは何か。「ひどいことをしたらひどいことをしかえされるかもしれない」という観念が一般的になれば、ひどいことをするのに対する抑止力として機能しうる。これがまぁ、復讐の実際的意味である。が、そんなことは今関係ない。そんなことはどうでもいいんだ。書くことが何一つないからそんなことを述べているだけで、結局どうやって第三の敵役を改心させたらいいのかという問題の解決に向けて一歩たりとも進めていない。
時間切れ。
(そういえば逆噴射先生が男の教科書として絶賛していた『デスペラード』を見た。あの、ギターケースからロケットランチャー撃つ人が主人公のエル・マリアッチではないことにびっくりした。あとベイブがホットだった)