螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

そのとき俺は生きる意味を見失わずにいられるのか?


 マジか。これが全部マジのガチなのだとしたら、少子化問題とかもはやどーでもいいまであるじゃないか。マジかよ。あー、しかしそうなると、これからは困難に立ち向かい、より良き明日を作る戦いの主体は人間ではなくなってゆくのか。困難を克服し、苦闘の末に何かをつかみ取るということが現実には起こらなくなる世界か。そのような世界にあって、物語は、どうなるのだろうか。基本的に、困難とその克服こそが物語の基本骨子であるわけだが、それが現実に存在せず、共感可能性が限りなく低くなった時代に、果たして物語は必要とされるのか。ワカラナイ。まぁ、俺は俺が読みたいと思う物語を書くことにかけては人後に落ちぬと自負してはいるが、しかし多分これからAIは俺以上に俺好みの物語を紡ぐようになっていく、のか? この点いまだによくわからない。しかし考えてみれば、自動車が発明されて以降も陸上競技が廃れるような気配は一切なく、選手がアイデンティティクライシスを迎えることもない。ならば物語を紡ぐ行いも同じではないのか。

 時間切れ。

(結論:なるようになる。さんざんウダウダ言っといてなんだその〆……)