螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

『異説ファイアーエムブレム』とかは完璧にこの要請を満たしていた

「俺が譲れないモノ」

  強くてカッコイイ敵役を出す。これに尽きる。俺は正直そのために生きてるようなところがある。小説以外でなんかないのかよ!!!!! と突っ込まれそうだが、うん、その、……ないな。いやマジでないな。俺の全経験に占める小説関連の割合は八割を超えているのではなかろうか。やることなすこと感じること、精神活動のすべてを小説のために行っている節がある。で、話を最初に戻すが、敵役が強くてカッコイイというのは主人公が魅力的よりも重要な評価ポイントである。正直敵役さえ強くてカッコイイなら他でどれほどアレな作品であろうと評価してしまう。たとえハーレム要素があろうと強くてカッコイイ敵が出てくるなら笑って許せるッッ!!!!! しかしなぜ俺はここまで強くてカッコイイ敵役至上主義に染まってしまったのだろうか。原因を思い出そうとしても、これといって思い当たることがない。なぜか幼少期から主人公が勝つと「ああああ~……」ってなる。え? ガロウなの? 俺最強怪人になっちゃうの? いや……なんかガロウ氏とは違うんだよな……。別に敵役に勝ってほしいわけではないのだ。

 

 時間切れ。

 

(つまり物語に予定調和よりもサスペンス要素を強く求めているのだ。「あれ? これ詰んでね? 主人公死ぬよねこれ?」からの意外な手段での逆転勝利が見たい。で、主人公を詰ませるだけの説得力をもった敵役の登場が要請され、そして現在の思考回路に至ったと? なんか違和感あるな……)