螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ちなみに百合はどうでもいい。快も不快も感じない。あらゆる意味で興味の埒外だ

 さて、推敲を遂行である。あまりの激ウマギャグに俺は震撼した。学校や職場で人気者になりたい人は使っていいですよ。そして書くことがない。あー、えー、なんか、印刷して、めっちゃ大量に積み重なったやつを読み返してるいうたやん? そんでまぁ、一回目に読み返したときに、「ここは変えよう」と思ったところは赤ペン先生してるわけやん? で、今日そこをまた読み返したときに、いったいなぜここに赤ペン先生されているのかが全く理解できないという状況に遭遇して俺は途方に暮れた。「推敲とは、過去の自分に弁護の権利が与えられない欠席裁判である」と、なんかの創作本で読んだような気がするが、それな。推敲して修正した後が、前よりも良いものであるという保証もまたないのである。いやそれどころか、「自作を読み返す」という行いそのものが、執筆当初に抱いていた初期衝動だか感動だかを捻じ曲げる行いであり、読み返すたびにそういう「本物の感動」は損なわれてゆくものであるように思う。これは、何度も読み返すことによる「飽き」とは異なる次元のものである、と思うのだが、いや、どうだろう。なんか自信なくなってきたな。で、あー、遠藤さんがLGBTだかについて述べているなぁ。まぁこれに関する俺の見解は、

 

 時間切れ。

 

(生命や収入に関して不利益を被るような差別は撤廃されるべきだが、それ以外のことについては放置安定やろ、というものである。俺は男同士が乳繰り合ってる情景なんか視界に入れようものなら「オェーッ!」以外の感想など抱かないし、そういう自分を恥じる気が一切ない。そういう意味では差別意識があると言えるだろう。そうしたい人は好きなように男同士で乳繰り合っていればいいが、俺にもそれを「キモッ!」と思う自由はあるし、こっちで勝手に視界に入れない努力をするだけである)