螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

何が描くに値する事物なのか。いったい何が。

 ほんでな、シロガネの話に戻んねんけどな、まぁその、クレイス氏とラズリ氏との出会いシーンって、アレひとつのシーンを使ってやらねばならない内容だったのかと言えば、否なのではないか? というようなことを思い始める。なんか「オンディーナに向かうのであった」の次のシーンでもう樹精鹿に乗って移動してるシーンに切り替わり、なんか短く「今乗ってんのは樹精鹿とよばれるエルフの騎乗用獣であった」とかなんとか適当な説明文を残せばそれで良いのではないか? クレイス氏とラズリ氏は今後のドラマに重要な役割を果たす存在ではないのである。では、俺は何故このシーンを入れたのか? あのー、異世界感を、描写、した、かった、んだよ……。蔓めいた植物の集合体が鹿の形をしている不思議生物と初めて相対した少年の感動的なものを? つまり、あれだ、鹿っぽい姿の植物という存在との出会いは、フィン少年の主観においては大きな衝撃が伴うもののはずである。そこを果たしてこちら側の都合でカットすべきなのか? それで読者は本当にフィン少年とともにさまざまな感動を分かち合えるのか? つまり俺はオブスキュア王国という世界を、剣と魔法テンプレに寄り添いつつも高い解像度で描くべき対象と捉えているが、

 

 時間切れ。

 

(しかし樹精鹿との出会いシーンに盛り込まれている程度の情報なら、その直後の騎乗して走ってるシーンで描写をちょっと追加するだけで再現できてしまうのではないか? ちょっと試してみようか)