螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ぜんぜん悲壮感がない火星ぼっちライフ

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 『火星の人』を読了する。素晴らしかった。最後までドキドキしながら読み進めた。まぁ、火星にたったひとり取り残されてしまった主人公マーク・ワトニー氏が、極限のメキシコたる火星でわりと余裕綽々めに生き抜いてゆく物語であるが――なんだ、ここで特筆すべき点として、本作には「止揚」の構造が存在していないということを述べておきたい。つまり、ワトニー氏は日々火星サバイバルの中で巻き起こる致命的トラブルに対処し、持ち前の知恵と度胸でどうにかしてゆく物語であるが、敵が火星の環境だか機器の老朽化によるなんかだか、要するに意志を持った敵ではなく、単に克服されるべき障害でしかないのである。これをワトニー氏が次々と愚痴やジョークをこぼしながら解決してゆくだけの話なのだが――困ったことに面白いのである。俺の認識では、トラブル(闘い、と言い換えても良い)が発生し、主人公がそれに意外な手段で勝利をおさめ、その戦いの中で何かを得、何かを失い、心理的な変化を引き起こし、その変化がまたのちの展開の因果の因になってゆく、というのが物語の基本構造だと考えてきたのである。えーつまり、トラブル(戦い)は後の展開と因果関係で結ばれていなくてはならないと思うのだが、本作では途中のトラブルをいくつか削除してしまったとしても特に問題なく話として成立してしまうのである。

 

 時間切れ。

 

(これをどう考えるべきなのだろうか。因果関係の絶え間ない連環こそが物語だと考えてきた俺にとって、この物語は説明ができないのである)