螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

最終的にミヅハノメを使い続けるわけで、ジョンウォーカー氏を否定できてなくない? というのは思った

 この者の命には、それだけの価値があると認めたから。
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 自分は、勝つために刃を振るっているのではない。
 自分は、負けるために刃を振るっているのでもない。
 ヴォルダガッダは、血の神アゴスは、たまらないほどの高鳴りに身を震わせる純乎たる魂は――ひとつの確信のもと、緻密に組み上げられた機械装置のごとく、剣舞を演じている。
 噛み合う歯車のように、刃と肉体が旋回し、巡り、力を伝え、力を返し、必然的な結末に至ろうとしている。
 勝ち負けではない。
 相克ではない。
 これは、二人で協力して、一つの終局(こたえ)を導き出す、そのための計算式を舞っているのだ。
 勝敗は、その後に残るものに過ぎない。

 野郎二人のクソデカ感情のぶつけ合いと殺し合いを描くにあたって、まぁ「何が面白いのか、面白いとは何か」みたいなよくあるスランプ? というか? どっちに行けばいいのかまったくわからなくなるようなことは普通に訪れるわけだが、俺の場合『獅子の門』を読み返せばそれだけで万事解決するので気が楽ではある。あれは全人類が読むべきであるが、実生活では何の役にも立たない。立たないからいいのだ。『イド』最終話を読む。あぁ、あれだ、泣ける要素の有無が、本作とサイコパス三期を分けているのだ。……と思ったが、そうか??? 俺そんなにお涙頂戴好きだったか??? ってなって、けっきょくよくわからないがとにかくサイコパス三期より面白かった。で、ジョンウォーカー氏は、何がしたかったんや??? なんかよくわからんまま終わったんだが。七人の殺人鬼を仕立て上げて? で、それがどう役に立つんだ? ミヅハノメが機能するには七人の殺人鬼が必要だった、のか? なぜだ? ぜんぜんわからん。しかしなんだなぁ、ジョンウォーカー氏の扱いが、ただの「乗り越えるべき障害」になってしまって、俺は「あぁ~」ってなったのだった。奴は奴なりに、これが正義のためと思って行動していたわけであり、また現代社会を生きる我々は残らず

 

 時間切れ。

 

(「小を殺して大を生かす」メソッドのおかげを被っているのである。なんかこうさぁ、もうちょっとちゃんと議論してほしいというか、「お前の方法より俺のプランのほうが効率がいい」みたいな方向性で論破してほしいんだよなぁ、と思った)