螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ンゴォ!!!!!!!!!!

 きらきらと、もろく儚い、孤独さの残り香。
 ヤビソーの、肉の中から込み上げてきたもの。
 哀切と、守りたいという想い。
 弱さを愛するという心に、ヴォルダガッダは初めて触れ、理解し、価値を認め――それゆえに斬り殺すと約束した。
 価値を認めるがゆえに。

 んがああああああ、すすまねええええええ。あぁ、『獅子の門』パートで引っ張るのもそろそろ限界では? じゃあここからどうするのか? もちろん何の考えも浮かんでいないのである。浮かんでたらブログで話題にするわけないからな!!!! あー、で、いつぞや書いた記事を受けて、パルプスリンガー諸氏やそうでない人も「会話劇」というものを次々と投稿されていて、俺は歓喜した。そして答案を片端からツイッターのダイレクトメールで送りまくっていたが、この鍛錬にはいささか瑕疵があることに気づく。それは、「会話のみで個人の識別を可能ならしめるテクニック」と「キャラ立てのテクニック」は必ずしもイコールではない場合があるという如何ともしがたいアレである。つまり、「ここでこのセリフを言うということは会話の流れからして恐らくこいつだな」的な? そうゆう思考の筋道をたどって正解が導き出されるパティーンがわりかし多かったのだが、しかしそれはキャラ立てとはあまり関係ない分野のテクニックなのである。まぁみんな楽しそうにやってるからいっか!!!!!! いや……まぁ、本心を言えば、これは俺の不徳の致すところというか、実践的・具体的・効果的な創作メソッドを論じられていたと思っていたがそうでもない、場合がありうるという事実を、

 

 時間切れ。

 

(俺は言うべきなのだろうか。いや、ぶっちゃけみんなこれは気づいとるやろ。ワイに気を使って言っとらんだけやで実際)