螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

鬱病患者の半分は胃薬飲んだら改善するという話に衝撃が走る

 忍極の話を続けるが、そもそも極道どもが孤独なのは、その生きざまに由来する完全な必然であり、不可分のものである。極道が極道らしい生き方を貫く限り孤独であることは避けようがないのであり、であるならば、自らの生きざまを誇るというのなら、孤独であると言うこともまた誇らねば筋が通らない。自分の生き方は変えたくないが孤独は嫌で、似たような境遇の他の奴と寄り添って傷をなめ合うなど、自らの生き方に誇りを持ててない証拠である。実際に行った悪行の数々ではなく、この筋の通らぬ惰弱さゆえに、俺は極道どもを認めることはできない。で、あー、えー、話は変わるが、今日はnoteに投稿されていた冲方先生の創作指南を読んでいて、小説を書けてない。違うから、冲方先生のnote記事とか全部読むのは義務だから。全人類の義務だから。プロットが欠片も進まなくても俺は悪くない。で、感情とは=身体である、という論を読む。心理描写というと、なんだか俺たちは身体から分離した、完全なる形而上の事象であるように思いがちであるが、感情のメカニズム上、そのようなことはあり得ないのである。

 

 時間切れ。

 

(目に見える身体のアクションだけで人物心理を描き出すハードボイルド文体が成立するのはこのためなのであろう。感情を発生させる主体は脳ではなく身体であり、脳はそれらに名前を付けているに過ぎない。「身体に現れない感情」などというものは存在しないのだ)