螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

「人類の良いところだけを吹き込まれて、のちに真実を知って悪堕ち」とかいう安い展開だけは予防したかった

 いや、でもさ、「主人公が話の本筋に関わらない」ということ自体にエモを見出す人間心理もまた、普通にありうるような気はするのである。俺だってあれだよ、一時期「なんか主人公が大活躍する話ばっかで飽きたわ!!!!」とか思ってた時期あるし、それゆえに群像劇スキーになったようなところはある。主人公しか活躍しない話への逆張りとして、たとえばアギュギテムやシロガネは存在しているのだ。ゆえに、主人公が本筋にがっちり関わっている話ばかりで飽き飽きしていた作者氏が、カウンターカルチャーな衝動に筆を任せたという可能性はあるし、俺はその衝動をまったく笑えない。あー、えー、そんで、アンタゴニアス169話をアレする。あのー、ヴァーライドの教育指針が述べられるの巻。あのー、やっぱ教育って洗脳と何も変わらないというのが、思いとしてある。まるで絶対的に正しい文化なり思想なりが存在しているとでも言いたげな傲慢さを、「教育」という言葉からは感じるのだ。そして将来大罪を犯すことが確定している子供に対して、その欺瞞的な「教育」を振りかざすのは、逆張りしたくなる心理をくすぐってしまう危険があると考えている。ゆえにヴァーライドは突き放す。俺は自分の目的のためにお前を洗脳しているだけだと最初から言う。

 

 時間切れ。

 

(そのうえで、人類をよく知り、人類に背く決断をするというのなら、受け入れることができる。「教育」への逆張りで背かれたのでは後悔が残るからだ)