螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

回帰している。俺はこの自問を後何度繰り返すのか。

 アンタゴニアスという作品は、本文に書いてあること以外の設定というものが一切存在しない。というか通常、俺が小説を書く時は本文と設定を別のファイルとして保存し、参照・修正しながら書き進めてゆくわけだが、アンタゴニアスに関してはそれを一切行っていない。完全に本文だけを即興で書いている。このため、書いた本人も、仕込んだ設定だか伏線だかを忘れてしまうという事態が常に発生しうる。というか150話に近づいてきた段階で、本文に仕込んだ伏線はもはや膨大な量に及んでおり、すべてを回収するためには読み返して思い出すという作業が急務である。なので今日は読み返していた。97話まで。決してアギュギテムからの現実逃避ではない。ないったらない。そして気づく。アンタゴニアス、一気読みしたら滅茶苦茶疲れる……。ほとんど毎度SF蘊蓄が入るからだ。なんでこんなことに……いや、俺がそれを面白いと思って書いていたからだが、あまりにも読者に負担を強いる筆致だ……いや、それはまぁ、ぶっちゃけいつものことではあるが、例えばシロガネとかは、まぁ架空侵食が出てくるまでは、そんなに読者に負担をかけない内容になれている、ような気がするが、アンタゴニアスに容赦はない。もうちょっとどうにかならんのか。と毎回思うのだが、読者の負担を減らそうとするとつまり俺自身が面白いと感じる要素をスポイルしてしまうというジレンマがある。

 

 時間切れ。

 

(これ前も書いた。たぶん前も書いたよこのジレンマ。全てのシーンを面白くすべきだ。いや、「面白い」という語彙は封印すべきだろう。すべてのシーンに読者をあっと言わせる要素が盛り込まれるべきだ。この要件を満たそうとすると読者が疲れる。だからそれ以外の感動で間を持たせるべきなのだ。例えばキャラクターの人格的魅力を発揮させるシーンとか)