螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

んごごごご

 なんか最終的に世界を救うためには最低一人は犠牲にならないといけないという障害が立ちふさがる感じのアニメを見たのであるが、そのまま素直に誰かが犠牲になるわけもなし、いったいどうやってコストを踏み倒すつもりなのかと思いながら見ていたら、なんか三か月後に犠牲となったはずの主人公が帰ってきてハッピーエンド的な感じになったんだけど、どうやって生還したのかということには一切触れられず、なんかモヤモヤするような、いやこの作品はそのあたりの理屈は別に主眼じゃないんじゃねえの? 的なことを思ったり、いやでも「誰かが犠牲にならないといけない」という前提を提示した以上、その克服にはこちらを納得させる理屈がないとダメなんじゃないの、とも思いつつ、しかし正直なところ視聴後感は悪くないのであるが、では俺のこのモヤモヤのようなものはどこから来たのか? 俺は本当はモヤモヤしているのではなく、教条主義的に「理屈が語られないで葛藤を踏破する作品にはモヤモヤするはずだ」という思い込みによって自分がモヤモヤしているような錯覚を抱いているだけではないのか、視聴後感は悪くないという感想こそを貴ぶべきであって、理屈とか別にいいのではないか、でも俺は「理屈じゃない」って言葉大嫌いなんだよなぁ。

 

 時間切れ。

 

(なんつうか、「理屈じゃない」って言葉には相手を説得しようという誠意が感じられないのだ)