螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

わからん

 『ムービング・アート』を視聴する。あのー、自然番組だな。タヒチ島の風光明媚な自然をハイクオリティな映像で映し続ける感じの。いや、想像よりもずっと感銘を受けた。なんて美しいのか。あのー、一切説明とかしないの。テロップもナレーションも一切なし。ただただ映し続けるだけ。それだけなのに感動がものすごい。いやだからこそか。これを見ると自然番組のナレーションとかって野暮ったいなぁ、とすら思えてしまう。それはつまり自然に脈絡や物語性を付与する行いだからであろうか。自然を理解できる矮小な形に加工する行いだからであろうか。あー、うー、アギュギテムが、多少、進む。二文くらいだろうか。螺導の思想がいかにして形成されたのかを詳らかにし、読者と螺導の絆を取り持たなくてはならない。だが今書いている状態の螺導少年から、いかにして視覚いらない系ジジイになればよいというのか。その筋道が全然思いつかない。いやこれ確か前も書いたよ。俺確かまったく同じこと前も書いた。しかもかなり前に。それぐらい進展がないのである。なんだよ視覚いらないとか。完全に意味わかんねえよ。いるだろ!! 視覚!!

 

 時間切れ。

 

(目が見えると言うことの弊害。己のみで生きていけるという勘違いを断つこと。打算を通貨とする関係性で社会を構築する。無償の奉仕を抑止する。対象を客体化しているから奉仕などしようという思想が芽生えてしまう。だが見えなくなれば、自他の境界をぼんやりとさせられる?)