過去の文章、発掘更新その3
戦況は圧倒的に不利だった。
俺は残り少なくなったサンタ力(ぢから)を掌に込め、身を起こした。生まれて初めて相対する真の恐怖に震え、歯が噛み合わない。
「もう終わりか? 所詮、企業の広報戦略によって形作られたまがいものはその程度か」
目の前に立つ男が言った。黒と茶の司教服に身を包み、痩せた双眸に不敵な笑みを宿す。
一方俺は、赤と白のこれぞまさにサンタ服、といった格好をしている。一般人が見てどっちが悪役だと思うかは、考えるまでもない。
だが、そんなことが一体何の助けになるだろう。この絶対的な暴力を前に、人気などがいかほどの役に立つだろう。俺の周囲には、多くのプレゼント箱と一緒に、赤い飛沫がまだらに飛び散っている。へたくそな笛にも似た呼吸音が、俺の喉を行き来した。不意に吐き気に襲われて身を折ると、また血ゲロが出てくる。折れた肋骨が内臓を傷つけているのかもしれない。
眼の前の男は、低い笑いを漏らす。
「お前が第五世代だと? まったく、国際サンタ協会の弛みぶりといったら笑わせてくれる。我ら《ニコラウスの子ら》が操る源流クリスマス力(ぢから)の敵ではないわ」
《ニコラウスの子ら》。
近年、世間を震え上がらせているテロ組織。五百歳を数える第二世代サンタ、ミカラ・ペトリを首魁に頂くサンタ派閥の一。超常の力を使い、何人ものサンタを叩き殺した戦鬼の群影。子供たちのためのプレゼントをしらみつぶしに破壊し、ツリーを蹴倒し、街のイルミネーションを引きむしる。楽しい聖夜を台無しにする馬鹿野郎ども。その目的は、世にはびこるまがいもののクリスマス文化を殲滅し、『正しき聖誕祭』とやらを復元すること。
「――やれ、〈コバルト〉」
咆哮が、闇をつんざいた。
地響きとともに、真紅の巨影が大地に降り立った。ねじくれた角と雄大な翼を持つ、凶獣。
始源の第一世代、聖ニコラウスが従えていたとされる、紅い悪魔。圧倒的質量。
その巨腕が、唸りをあげて振り下ろされてきた。俺の体を粉砕してなお余りあるその速度。
あぁ――
絶望が。
体の中から。
俺は目を閉じかけた。悪魔の腕で叩き潰される。考えうる限りで最悪の死にざまだった。
後悔が、胸を満たす。
どだい無理な話だったのだ。最初にこいつと出くわしたとき、さっさとプレゼントを放り出して逃げればよかった。そうすれば命くらい助かっただろうに。
……くそっ、なんで俺はサンタになっちまったんだ。そんなものにならなけりゃ、そもそもこんな狂信的なクリスマス原理主義者とは関わらずに済んだはず!
そのとき、長く長く引き伸ばされた一瞬の中、俺は見た。
冷たいアスファルトの片隅で、戦いの余波を食らい、投げ出された一つの箱。
かつては綺麗に包装されていた、一つの箱。
リボンは千切れてほどている。中には、サムライ戦隊ブシレンジャーが召還する巨大ロボ・ブシキング。子供たちに取り出してもらうのを待っていたであろうそれは、叩きつけられ、首と刀が折れていた。もう、彼は戦えない。
無残に破壊された、思いの結晶。彼が運んだであろう笑顔は、永遠に戻らない。
――笑顔が、見たかったから。
息を呑んだ。天啓のように、その考えは俺の中で蘇った。
そうだ、俺は、クリスマスという特別な日が、わけもなくうれしくて。
だれかとその気持ちを共有したくて。
ただそれだけの思いで。
目を、見開いた。
腹の底から、吼えた。力の限り、吼えた。
歓喜の咆哮だった。
喉の熱い塊が、爆発したかのようだった。
胸の奥底から無限にサンタ力が湧き上がってくるようだった。
――それは、心の力。
俺は、子供たちにプレゼントを配り終える。
なんとしても配り終える。
そのために戦う。
こいつをブッ飛ばす。
最大限のサンタ力を込めた拳を、悪魔の一撃に合わせる。激突。轟音。炸裂。宇宙開闢の光景を思わせる、壮絶な爆光。視界が白く染まる。
人外の発声器官が放つ、耳障りな悲鳴。
やがて光の帳が薄まり、視界が戻った。
吹っ飛ばされ、仰向けに倒れ、振り下ろした拳から蒸発し始めている悪魔の巨体が目に入った。
「おまえらのような、サンタのルーツに固執するだけで、その本質を忘れた大人にはわかるまい……!」
叫んだ。心のままに。
「……偽者風情が、わかった風な口をきくじゃないか」
男は、頬をゆがめた。その眼の奥に異様な滾りがあった。
「サンタがいるとかいないとか、本物とか偽者とか、俺たちゃそんな次元に生きてねえんだ!」
俺は掌を天に振り上げた。
「クリスマスは! 他の誰かと喜びを分かちあう日! プレゼントという形で思いを伝え合う日! かつてどうだったとか、本当はこうだったとか、そんな言葉で今のクリスマスの尊さを貶めることはできねえ! 少なくとも笑顔ひとつ浮かべないおまえらには!」
掌に、宇宙的なサンタ力が集結する。
見せてやる。《偉大なる道化》と呼ばれた第二世代サンタ、サンドブロムの継嗣のみが扱える奥義!
「こい! 〈ヴィクセン〉!」
俺は終生の相棒の名を叫んだ。
一面のアスファルトが光り、水面からでてくるように雄々しくしなやかなトナカイが顕現する。その姿は青白い光で紡がれており、辺りを照らしていた。
その背に打ちまたがる。直後、〈ヴィクセン〉はアスファルトを蹴り砕き、弾丸のように突撃。俺は長い首に抱きつきながら、ありったけのサンタ力をこいつに注ぎ込む。
輝くトナカイは俺のサンタ力を燃やして破壊力に変換。頭を下げて角を突き出し、全身の光をそこへと集中させた。
俺と〈ヴィクセン〉の雄叫びが、完全な同期をとって大気を震撼させる。
黒い敵の姿が、急激に近づいてくる。
その顔は、怒りと驚愕で歪んでいた。
――いこうぜ。
こいつ倒して。
サンタやろうぜ。