螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

鼻☆塩☆塩

 逃避の話をしよう。たとえばAという選択肢とBという選択肢があったとして。まぁ仮にAを選んだとして、その行いは逃避であろうか。まぁふつうは否である。しかしフィクションと現実があって、フィクションを選んだ場合、それは一般的には逃避と見なされる。架空の世界に逃げるな現実を戦えというわけだ。正直に言って俺はこの一般論が感覚として理解できないでいる。ええ、どういえばいいのか、だっておめー、フィクションも現実じゃん? っていうと何言ってんだオメーみたいな顔をされそうだが、わりとマジでそう思う。同時に、「物語に『中の世界』なんかありませんよ……ファンタジーやメルヘンじゃないんですから……」とも思う。あー、つまりだ、紙媒体であれ電子媒体であれ、物語は現実の中に実在しており、それを摂取して感動したこの俺もまた実在するわけだ。じゃあ現実じゃねえかって話になるんですよ。えー、この感覚をうまく表現できてんのかわからないが、そういうわけで俺にとってフィクションとはまさに立ち向かうべき現実であり、そのあたりになんというか一般論との

 時間切れ。

(ざんねん! 君の冒険はここで終わってしまった! 1ページに戻れ)