螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

受け身の対応者はここでは必要ないッ!

 『剣街』から離れよう(震え声)。俺には冷静になる時間が必要なんだ(白目)。「欲求」と「欲望」の話をしよう。今までもなんかぼんやりと描きたいなとは思ってきたが、最近明確になってきたような気がするのである。「欲求」とは何か。まぁ、足りてないから欲しくなることである。では「欲望」とは何か。足りてなくても欲しくなることである。で、基本的にフィクションの主人公の動機となるものは欲求である。なんか欠如してるからそれを取り戻そうとするわけだ。だが、そう、俺は「欲望」を動機の核に据える主人公が書きたかったのだ。なぜか。「欲求」とは受け身の感情である。自らの心身を維持するために行われる、いわば生命活動の延長線上にあるものであり、非常に本質的である。動物的である、と言い換えても良い。容易く共感は得られるだろう。だが、なんか、それでは満足できないのだ。違うだろう。俺たちが描こうとしているのは人間であろう。仮にも人間様がそんな、動物的欲求にだけ現を抜かしているようでは情けない。何のための魂か。

 時間切れ。

(久我絶無と諏訪原篤はそれを目指したのだ。最近気づいた)