螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

「ホロプシコン」てなんか元ネタある単語なのだろうか?


 本作でどうもよくわからないポイントが、「アルタイル氏はなぜ眼鏡の人にそこまで肩入れしているのか」という点である。劇中で描かれている通り、被造物たちの創造主に対する態度は一様ではない。巨大ロボ少年あたりはまぁ友好的に接触しているが、弥勒寺はんはボコってるし、セレジアはんは剣突きつけているし、ちゃんネキに至っては殺している。被造物だからと言って創造主にデフォルトで敬意を抱いているわけではないことは明白だ。では、なぜ、アルタイル氏は眼鏡の人に入れあげているのか。コレガワカラナイ。「なんか会ったこともない創造主が、ごくごく一部の人間にいじめられて自殺したらしい」→「せや! 世界滅ぼしたろ!! ついでに関係ないけど物語世界も潰したろ!!」いやちょっと飛躍がないかそれは。いや、まぁその、そこは一歩譲って納得するにせよ、掲げる最終目標が「すべての世界の崩壊」である点がいただけなかった。こんな目標に賛同する被造物などそうはいるまい。彼女はもう少し別の目標を設定すべきだったと思う。つまり――「神の世界」を、物語世界に対して面白半分に玩弄し、惨劇をもたらし続ける圧政者と定義づけ、「神の世界を潰してすべての物語世界を解放しよう」と

 時間切れ。

(主張すべきだった。これならばメテオラ一派に対する説得力を持ったアンチテーゼとなり、譲れぬ思いのぶつかり合いになったはずなのだ)