※うんこを我慢しながら書いてます
ちょっと白兵素手カラテを書きたくて『獅子の門 雲竜編』を読み返し、大いに刺激を受ける。まったく、なんという小説か。読み返すたびにその表現に驚嘆する。殴り合いをここまで深く、濃く、熱く描ける作家が他にいるだろうか。久々に質の良いインプットをした気がする。そして思う。俺はインプットしたものを、なんか混ぜこぜして出力しているだけで、俺自身の要素というものを作品に込められていないのではないのか、と。いや、一般的にはそれで良いのだ。創作とはそういうことなのだ。しかし、しかしだ、こんなノリで創作して、まぁ、要するにいろんなところから少しずつパクってるから、それがパクりだとバレてないだけで、俺自身というものを作品に出せていないのではないか。今回のことだって、要するに書けたのは『獅子の門』の劣化コピーであって、つまり『獅子の門』さえあればこの二回戦第二典礼はなくても別にいいということになりはしないか。存在意義が見当たらぬ!(葉隠散並感) いや、そうではない。たとえパクリ100%だとしても、パクリの中に含有される、パクリ元の成分比は人によって全く異なるはずである。つまりそれがオリジナリティなのだ。昨今「オリジナリティ」という言葉に否定的な言説が目立ち始めてきたが、いやオリジナリティ重要だろ……なにイキって逆張りやってんだよ……
時間切れ。
(俺は小説を暇つぶしとして消費しているような腰抜けではないので読む作品にもオリジナリティを求めるぞ)