螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

ほふぇー

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 いや、昨日は言い過ぎた。共感型主人公、生きてていいよ。しかしあのー、しばし悩んだのだが、俺って共感型主人公を好きになったことあったっけ? と思っていろいろと記憶を掘り返してきたが、スキになった主人公は皆憧憬型だったような気がする。俺は彼らにひとかけらも感情移入してないが、すごく魅力的なキャラだと思った。じゃあ共感型の何が気に入らないのだろう。それは、恐らく、物語を現実の代償行為として消費させよう/しようとしている作り手と受け手の意志が感じられて、イーッてなるのだった。物語が現実の代替品になんかなってたまるかよという思いがある。そうじゃねえだろ。物語は現実を超えているものだ。少なくとも俺にとってはそうだ。現実とは一切重なっていない、独自の価値を持つものだ。現実がどれほど豊かになろうが、物語でしか得られないものがある。主人公に自己投影しちゃってる人ってアレでしょ? 現実で満たされたら途端に物語なんか触れなくなるんでしょ? はッ、しょーもな! そんな程度の気持ちで物語と関わってんのかよ、という話なのである。それは物語が好きなんじゃない。本当は現実が好きなんだ。なのに自分の本当の気持ちから目をそらして物語で妥協しているのだ。本気で生きろバカヤロウ。

 

 時間切れ。

 

(あーっとバール選手、いつになく攻撃的だーっ! でもわりとマジで俺にとっては物語>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>豊かな現実、なのである。ぶっちゃけ現実で感動したこととか一度もありません)