螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

気がするだけだ!!!!!!!

 『「感情」から書く脚本術』、読了する。あのー、なんだ、「読者に積極的に物語に参加させる」ということの重要性について語られていた。つまり、「2+3=5」という式があったとして、もちろんこれは非常にわかりやすく、誤解の余地など微塵もない表現であるが、しかしこの式を見た人間は「うん、正しいね」ぐらいしか思うところはないのである。これがダメな脚本。一方で「2+X=5」という式が出された場合、読んだ人間はほんの一瞬とはいえ思考する。積極的にXに入る数字を究明しようとする。この積極性こそが重要なのだと。ゆえにわかりやすく記述するだけではダメなのだと。なるほどなぁ……と納得する反面、俺は「2+X=5」を見たら、「はぁ、2+X=5ですなぁ」とアホ面を晒して見ているだけの人間なんですよ。書かれていることしか理解しない。言外に仄めかされることを読解する能力がマジでクソ雑魚すぎる。それゆえに式の複雑さ、精緻さ、美しさで勝負しようとしてきたわけであるが、これは世間のニーズとずれているのかも知れない。俺にとって物語とは参加するものではなく傍観するものであった。だがこれは理を外しているのかもしれない。

 

 時間切れ。

 

(何か重要な気付きを得ようとしているような気がする)