螺旋のモノリス~京都湯けむり殺人神父ラヴィニ―のドキ☆釘付け魅惑大胸筋~

小説書きでミニチュアゲーマーが何の生産性もない無益なことばかり延々とくっちゃべってるブログ

いや、そうであるなら、バイツァ・ダストは事実と異なる幻覚を見せるだけの、何の役にも立たない能力ということになってしまう

 ジョジョ五部アニメ、視聴完了するの巻。うん、えがった。黄金の風が綺麗だった。そして、あー、昨日ゆってた「キングクリムゾンの存在自体が、ジョジョ世界に本来存在しなかった絶対的運命を押し付けていたのではないか」という説だが、もしこれが真だとすると、ちょっとウィキペディアで作中年代を調べてみたのだが、ボスがパッショーネを設立したのが1980年代後半であり、どんなに遅くてもその時期にはキンクリに目覚めていたと考えられる。そうなると、第三部と第四部はまるごと宿命の軛に繋がれた世界で繰り広げられた戦いだったということになる。なんてことだよ……。というか、下手をするとボスはDIOがワールドに目覚めるより前にキンクリに目覚めていた可能性があるのだ。マジかよ……。ただ、ひとつ救いがあるとするならば、吉良吉影のバイツァ・ダストは明らかに運命を変えるタイプのスタンドであり、決定論的宇宙観においては決して発生するはずのない能力である。ただ、いやそれは、要するに運命に抗いうる自由意志の持ち主が二人だけいた、というだけの話ではないのか。何が言いたいのかよくわからなくなってきたぞ。つまり、キングクリムゾンの能力が成立するには、絶対的運命によって世界は雁字搦めになっている必要がある。ところがバイツァ・ダストは明確に絶対的運命の破れである。

 

 時間切れ。

 

(この事実をどう考えればいいのだろうか。たとえばバイツァ・ダストは本当は絶対的運命を侵すものではない、と考えるべきか。過去に戻っているのではなく、精密な予測をしているだけであり、吉良によって選ばれなかった世界線などというものは最初からあらゆる意味で存在せず、選んだ世界線のみがキングクリムゾンの統べる絶対的運命に組み込まれた事実である、とする考え方である)